2012年9月8日土曜日

剣道の「礼」。「敵はもはや敵ではない」


ここは、とある「剣道」の大会会場。この一戦には、全国大会への切符がかかっていた。

「メーーーンッ」という凄まじい雄叫びが会場を揺るがし、鮮やかな一本が決まった。3人の審判の判定も文句なしの一本であり、この一本は全国大会への出場を確定するものでもあった。




ところが…、ここから事態は急変する。

突然、主審がその文句なしの一本を「取り消した」のだ。会場はどよめき、勝者であったはずの選手も戸惑いを隠せない。





なぜ?

一本を取り消された理由は、一本をとった選手の「一本をとった後の『ある行動』」であった。その「ある行動」とは、「片手だけの小さなガッツポーズ」である。

剣道では、ことさらに「礼」が重んじられる。一本と認められるには、「気」「剣」「体」の三要素すべてが整っていなければならない。「ガッツポーズ」などはもってのほか。たとえそれがどんなに小さな動きであろうとも、相手に対して「礼を失する」行為であることに疑いはない。

それゆえに、一本は取り消されたのである。そのガッツポーズは、気づかぬ人が多かったほど本当にちょっとした動きに過ぎなかったが、主審はその小さな「非礼」をも見逃さなかったのである。



「礼に始まり、礼に終わる」とされるのが、剣道である。

「礼」とは、相手に対する「敬意(respect)」のことである。敵である相手を打ちのめすことが剣道の目的ではなく、敵と相対することで自分自身を磨くことの方が、より大切なのである。

「剣道は肉体的な強さを競うものではない」とも言われる。勝つためだけに剣を振るうことは、剣道とは見なされないのだ。相手との対戦は手段であり、目的ではない。至高の目的は、自分自身の精神的な成長にあるのだという。

「敵はもはや敵ではなく、己を高めてくれる存在である」



剣道におけるこうした精神論は、机上の空論ではない。なぜなら、年をとって肉体が衰えていっても、本当の剣士の強さは逆に増していくのである。

かつて、昭和の「剣聖」とまで讃えられた「持田盛二」氏は、80歳を越えてなお、若き強豪剣士を一切寄せ付けぬほどの強さを湛えていたという。伝説的な映像を見ると、持田氏はほとんど動かずに、猛攻を続ける相手をいとも簡単にいなしている。退くこともなく、出ることもなく、剣もほとんど動かさない。持田氏は「極小の動き」で相手の動きを封じ、一瞬のスキを巧みに突いている。




対する相手も相当に名のある剣士なのであろうが、その名士ですら持田氏の前では踊らされているようにも見えてしまう。まさか、80歳を過ぎた御老体とは思えぬ映像である。彼は89歳で倒れるまで、道場に立ち続けていたという不世出の達人である。




持田氏曰く、

「私は50歳を過ぎてから本当の修行に入った。『心』で剣道をしようとしたからである。60歳になると足腰が弱くなる。『心を動かして』、弱さを強くするように務めた。70歳になると全身が弱くなる。今度は『心を動かさない』修行をした。心が動かなくなると、相手の心がこちらの心の鏡に映って見えた。80歳になると『心が動かなくなった』。それでも、時おり『雑念』が入ってくる。動かぬ心に雑念が入らぬ修行を続けている。」



剣道の教えには「四戒」というものがある。四戒とは、「驚・懼・疑・惑」という四つの心の弱さである。予期せぬ相手の動きに「驚けば」自失し、相手を「懼(おそ)れれば」動きが止まり、相手の動きを「疑えば」決断がつかず、相手の動きに「惑わされれば」混乱する。

どれほど剣の技を磨こうとも、心にスキあらば打ち負かされてしまうのである。剣道は「1000分の1秒で決する」と言われるほどに「瞬時の世界」。わずかな心のスキは命取りともなったのである。



剣聖・持田氏の教えを受けた「新堀強」氏は、かつての師に訓戒されたことを、今なお大切に教え伝えている。

「打たずに打たれなさい。受けずに打たれなさい。避けずに打たれなさい。」

新堀氏は現在、剣道における最高位である「範士八段」という位を持つ。しかし、頂点を極めてなお、遠方にはさらなる高い山が聳(そび)えているのを痛感しているという。師である持田氏の言葉の真意を理解できたのも、頂点を登り詰めた後のことだったともいう。



持田氏の教えは続く。

「力を抜いて柔らかく、相手と仲良く穏やかに、姿勢は美しく匂うがごとき残心を」

この言葉が無比の剣士のものとは…。なんとも和(なご)やかな言葉である。この言葉を聞くにつけ、「剣道の強さは『力や攻撃性』にあるのではない」という意味も見えてくるような気がする。




「武士たるものは、いかに剣を用いるべきか。そのために、いかに『心』を養うか。」

これは、江戸時代に剣の精神性を重んじた「柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)」の書(兵法家伝書)にある言葉である。




柳生宗矩は、徳川将軍指南役として、当代最高の地位にあった人物であり、「古今無双の達人」とも称されている。

「乱れたる世を治めるために、殺人刀を用いて、すでに治まる時は、殺人刀すなわち『活人刀』ならずや」。人を殺す剣を、人を活かす剣へと昇華させたのは柳生宗矩その人であり、剣術を人間の精神性を高める『武道』にまで押し上げたのもまた彼である。また、「剣禅一致」などの言葉の通り、彼は剣を通して「禅」をも説いたのである。




ある時、将軍・徳川家光は宗矩に、こう愚痴った。「なぜ自分の剣の腕が上がらぬのであろう?」

すると宗矩、「これ以上は剣術だけではなく、禅による『心の鍛錬』が必要です」と応えたという。

宗矩の死後、将軍・家光は「天下統御の道は、宗矩に学びたり」とも語っている。剣が心(禅)、そして政治にも通じたというのである。




剣道の竹刀を「単なる棒切れ」と思っているうちは、スポーツの域を出ないとも言われている。

竹刀は「自分自身」であり、敵すらも「自分自身」である。そうした思いが心を磨く「武道」への道なのだとも言う。

剣豪たちの歩んできた道は、決して終わりのあるようなものではないのかもしれない…。




出典:SAMURAI SPIRIT 「剣道」


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