2012年9月10日月曜日

人類の限界を破り続けるアフリカの男たち。マラソン


42.195kmを走るマラソン競技にとって、2時間4分は長らく大きな壁とされてきた。

この巨大な壁を最初に打ち砕いたのは、今から4年前、エチオピアのゲブレシラシエという選手であった(当時35歳)。

その圧倒的な強さで2時間4分台の壁を叩き割った彼は、歴代記録の上位100位の中で最も多い8回の記録を残こすほどに伝説的な人物である。エチオピアの首都に建つ彼の壮麗な自宅は「宮殿」と呼ばれ、彼自身は「皇帝」の名を頂いている。

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◎巨大な心臓


マラソンは「心臓で走る」といわれるほど、心臓の強さがレースの勝敗を左右する。そして、皇帝・ゲブレシラシエの心臓はといえば、専門家が驚愕するほどに大きい。

「なんて大きいんだ…」と専門家が言葉を失ったのも無理はない。皇帝の心臓は同年代の人の1.6倍もあったのだ。とりわけ、全身に血液を送り出す左心室は大きい上に、筋肉も分厚い(1.3倍)。

さらに驚くべきことには、皇帝が走り出すと、ただでさえ巨大なその心臓が最大でさらに1.6倍も巨大化するというのだ(酸素の摂取量から推定)。ふつうは、大きくなっても1.2倍程度だというのに…。

マラソン時に巨大化するという皇帝の心臓は、安静時に比べて7倍もの血液、一分間におよそ30リットルもの大量の血液を全身に送り続けることになる。



◎空気希薄な高地トレーニング


それほどまでに皇帝の心臓を鍛え上げたのは、標高3000mを超えるというエチオピアの高地トレーニングであった。標高3000mといえば、富士山の八合目にあたる高度であり、酸素の量は平地よりも30%も薄い。

皇帝・ゲブラシラシエは20年以上にわたり、この高地を走り続けてきた。朝20km、夕20km、朝夕合わせて42kmを毎日走り続けてきたのである。



◎流れやすくて濃い血液


酸素の欠乏しやすい高地トレーニングのおかげで、皇帝の心臓は巨大化したものと思われる。そして、酸素を渇望するあまり、心臓のみならず「血液そのもの」までが変化した。

具体的には、赤血球が小型化して量が増えたのだ。日本人選手16人の平均(93fl)と比べると、皇帝の赤血球は1割以上小さい(83fl)。赤血球が小さいということは、それだけ血液が「流れやすくなる」。つまり、サラッサラの血液である。

皇帝の小さな赤血球は細い細い毛細血管をスイスイと泳いで、全身にくまなく酸素を送り届けることができるのだ。毛細血管に見立てた隙間に血液を流す実験では、一定量が流れきる時間は皇帝44.9秒、日本代表の山本選手は49.1秒であった。



「流れやすく濃い血液」。一見矛盾するような血液が皇帝の身体には流れていた。これが「マラソン・ランナーにとっては理想的な血液」といわれる由縁でもある。

そして、このサラサラの濃い血液と巨大な心臓が、マラソン界に立ちはだかっていた2時間4分の壁を打ち砕いたのである。



◎水面を跳ぶように走る選手


昨年(2011)のベルリン・マラソン、皇帝・ゲブラシラシエに立ち向かった男は、まるで水面を跳ぶように走っていた。

42.195kmを走るランナーたちにとって、「30kmの壁」ともいわれる見えない壁が30km付近には存在し、多くのランナーたちはこの壁を境として急速に体力を消耗してペースを落としていく。

そんな中、その水面を跳ぶような選手ばかりは、そこからペースを上げてきた。そのハイ・ペースの前には皇帝もおいてけぼりだ。「ゲブラシラシエが遅れていく! その差は10m! マカウ、驚くべきペースです!」。



その選手はケニアの「マカウ」。彼にとって30kmの壁は存在しなかった。30km以降の彼のペースは1km平均で2分56秒、それ以前のペースから1秒しか落とさなかったのだ。

世界記録のままに42.195kmを走り抜けたマカウは、2時間4分台の壁を破ったことはもちろん、皇帝・ゲブラシラシエの世界記録を一気に21秒も短縮してしまった(記録:2時間3分38秒)。

ゴールしてもなお余裕の笑顔を絶やさぬマカウ。挙げ句の果てには、再びコースに戻り、走り出してしまうではないか。マカウの有り余る体力には、世界の誰もが衝撃を受けざるを得なかった。

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◎疲れ知らずの走り


世界記録を更新した直後のインタビュー、彼は「疲れましたか?」との問いに、「いや、それほど疲れていない。いつもやってることだから」と平然と答えた。

そして、彼の筋肉はその言葉通りに「疲れていなかった」。



筋肉の疲れは「乳酸」という形になって現れる。

乳酸というのは糖エネルギーが分解される過程で生じるモノであり、筋肉が負荷を感じるほどに筋肉の内部に蓄積されていく。「われわれが走った時に、キツイと感じるのは乳酸が溜まるからである」。

具体的には、筋肉内の乳酸濃度が4ミリモルを超えた時から、乳酸が急速に溜まり始め、筋肉が収縮しづらくなる。マラソンであれば、ペースが落ちてくる。



さて、疲れ知らずのマカウの筋肉には、どれほどの乳酸が溜まっているのか?

実験結果は驚くべきものであった。1kmあたり2分56秒という世界ペースで走っている時でさえ、マカウの乳酸は3.2ミリモルしか溜まっていない。つまり、まだまだ走り続けられるレベルしか乳酸は生じていなかったのだ。

ちなみに、同じ条件・同じペースで走ってもらった日本人選手6人の平均は乳酸4.8ミリモル。ペースの落ちる基準値である4ミリモルを大きく上回っていた。



さらに驚くべきことに、マカウは1kmあたり2分52秒というペースで走る続けても、疲れの目安である4ミリモルを下回る乳酸3.6ミリモルまでしか上がらなかった。

この1kmあたり2分52秒というトンでもないハイペースは、マカウが皇帝・ゲブラシラシエをベルリンで引き離した時のスピードである。マカウは30kmの壁の手前、25km付近からこのハイスピードで走り続け、皇帝を一気に引き離したのである。そして、驚異の世界記録を打ち立てたのである。



◎静かなる着地


マカウの疲れ知らずの走りは、その走法の極端な省エネ化に秘密があった。彼の足が地面に着く時、地面からの衝撃は極めて小さい。それほど静かに着地していたのである。

具体的な数字では、マカウが地面から受ける衝撃は体重の1.6倍、93kg分であった。この数字は日本代表・山本選手の受けた衝撃、体重の2.2倍、132kg分と比べるとはるかに小さいことがわかる。

着地の衝撃が少ないマカウは、筋肉の半分以下(48%)の力でその衝撃を受け流すことができる。それに対して、マカウの1.4倍もの衝撃を受けている山本選手は、筋肉の80%以上を使って地面の衝撃に耐えなければならなかった。

一歩一歩にこれだけの差があると、42.195km、2万歩以上の衝撃が積み重なったときの差や歴然たるものとなる。



◎つま先からの着地


マカウが静かに着地できるのは、つま先から着地するからである。もし、かかとから着地すれば、かかとが地面に着く角度はどうしても地面の動きに真っ向から逆らうものとなり、必然的にその衝撃は大きくなる。

ところが、マカウは着地の寸前、足の裏が地面とほぼ水平になるようにして、そのまま地面の流れに合わせるように小指側からつま先を地面に着地させ、後ろへ流すように蹴り出している。



かつて、つま先着地は身体への衝撃が大きいという理由から、かかと着地が積極的に勧められたものだが、今ではその常識はすっかりひっくり返ってしまっている。

科学的な検証から、マカウのようにつま先から着地した方がはるかに効率的であることが証明されているのである。

そして、地面の流れに逆らわない、流れるようなマカウの着地は、あたかも水面を跳ぶかのようにその走りを印象づけていたのである。



◎自然なつま先着地


もし、人間が裸足で野山を駆けめぐっていたとしたら、誰しもがつま先から着地することを自然に体得するという。

たとえば、マカウの生地であるケニアでは、今でも多くの子供たちが裸足で山々を駆けめぐっている。平均で7.5km、多い子は毎日13kmも通学で走るというケニアの子供たちは、そのほとんどがつま先で着地していることが判っている。

「小さい頃に靴をはかない彼らにとって、つま先着地が自然な習慣になるのです。なぜなら、かかとで着地するよりもつま先で着地する方が痛くないからです。森の中や岩だらけの道を走り続ければ、自然とそうなるのです」と、グラスゴー大学(イギリス)のヤニス・ピツラディス博士は語る。



◎脚の奥の筋肉を使う走り


実際、マカウも子供の頃は裸足で走り回っていたという。

アフリカの大地を裸足で感じていたマカウは、足の指を曲げたり、土踏まずを支える筋肉群(深部低屈筋群)が異常に発達している。日本代表の山本選手よりも37%も大きい。

その深部低屈筋群というのは、表面に見える筋肉ではなく、骨周りを支える芯となるようなインナー・マッスルのことである。マカウの脚の表面はそれほど力を使っていないよう柔らかく見えるのだが、その深奥においては、地面のデコボコをうまく処理するようなインナー・マッスルが積極的に活躍しているのである。



◎マラソン王国・東アフリカ


なるほど、ケニア、エチオピアを中心とする東アフリカ勢が世界最強のマラソン・ランナーたちを排出し続ける理由の一端が見えてきたようだ。マラソンの歴代公認記録の上位100人がケニア・エチオピアの2カ国によりほぼ独占されていることにも納得がいく。

しかも、2時間4分の壁を破った選手は人類史上いまだ3人しかおらず、その3名ともに東アフリカ出身である。

一人は皇帝・ゲブレシラシエ(2時間3分59秒)、もう一人は水面を跳ぶようにつま先で走るマカウ(2時間3分38秒・世界記録)、そして世界記録に4秒と迫った第三の男・キプサング(2時間3分42秒)である。



◎第三の男・キプサング


第三の男・キプサングは、またしてもケニアから登場した期待の新星である。2年前にマラソンに登場したばかりの彼は、3回連続優勝という勝負強さを発揮している。

そして去年、フランクフルト(ドイツ)で開催された大会では、マカウの世界記録にあと4秒と迫る世界第2位の記録を打ち立てたのだ。それは、マカウが世界新を更新したわずか1ヶ月後の出来事であった。



華々しい記録を打ち立てたキプサングであるが、彼はその時の優勝トロフィーを苦々しい思いで見つめる。

「これを見ていつも思うのは、4秒差で世界記録を逃したことだけだ。その悔しさは忘れられない。マラソンの4秒は『たった3歩』の差しかないんだ」





◎貧しさの中から


それでもマラソンで成績を残すようになって以来、キプサングの暮らし向きは目に見えて豊かになった。レースで獲得した賞金で、新しい家が次々と建っていくのだから。

皇帝・ゲブレシラシエの宮殿しかり、アフリカの貧しい人々にとってマラソン・ランナーは憧れの的なのであり、貧しい境遇から這い上がる最大の手段でもあるのだ。

ケニアには5000人ともいわれるほど数多くの若者たちが未来のトップ・ランナーを夢見て走り続けている。彼らの多くには収入がなく、ただ走り続けることでのみ、未来を切り開こうと必死なのである。



現在は世界記録保持者となったマカウも、かつては月に800円も稼げないような貧しい農家の次男坊だった。若き日のマカウは走るために家を出たのである。「どうすれば家族が貧しい暮らしから抜け出せるか考えた。そして気づいたのは、強いランナーになれば良いということだった」。

「10万ドル(800万円)を稼げれば、永遠に家族を養っていける」、そうした想いを胸に秘めた東アフリカの無名のランナーたちは、今もその夢に向かってひたすら走り続けているのである。



◎熾烈な決戦


ケニア国内には、綺羅星のごとく最速ランナーたちが名を連ねている。それでも、オリンピックに出れるのはたった3人。その最終選考は、4月にロンドンで開催されたレースにゆだねられた。

世界記録保持者のマカウ、そして、そのマカウの記録にあと4秒と迫ったキプサングは、そのレースで運命の初対決を行うこととなった。



レース前の数週間、マカウは焦っていた。「毎日、自分の記録が破られないか心配なんだ…」。世界記録を出したとはいえ、そのわずか一ヶ月後、キプサングに4秒と迫られたマカウに余裕はなかった。

その不安を打ち消すようにハードなトレーニングを繰り返すマカウ。仲間たちは心配した。「レース前の練習のやりすぎは禁物だ…」。



そして、運命の決戦。6人の代表候補のうち、マカウ、キプサングを含めた4人が出場するという重要なレースの火蓋は切って落とされた。

出だしはマカウ。先頭争いの中心に彼はいた。

ところが、16kmを過ぎた頃、マカウの姿は消えていた…。無念の途中棄権。ハードな練習中に感じていた太ももの違和感は、現実のものとなってしまっていた…。



◎無情なるオリンピック代表枠


結局、レースを制したのは第三の男・キプサング。彼がケニアの旗を背負ってオリンピックで走ることとなった。

一方のマカウは落選…。世界記録保持者といえどもオリンピックに出られない、それが強豪国ケニアの現実でもあった…。

「ケニアやエチオピアでは、トップランナーが脱落しても、別のランナーがすぐに台頭してくる。この競争の厳しさが新たな世界記録を量産するのでだ」と、ある人は語る。

2時間4分のカベを突破する男たちは、こうした土壌から生まれ、そして消えてもいくのである…。



◎心理のカベ


マラソンがオリンピックの正式競技となったのは、およそ100年前、1908年に開催されたロンドン・オリンピックにおいてであった。

その時、トップで競技場に帰ってきた選手は、消耗のあまりトラックで転倒。その苦痛の様を見かねた競技役員が肩を貸してしまったため、その選手は失格となった。そして、100年前当時の世界記録はといえば、2時間55分18秒。なんと現在の世界記録よりも1時間近くも遅い。

世界記録の更新が目に見えて加速し出すのは1960年代以降、東アフリカ勢(ケニア・エチオピア)の参戦によるものである。1960年のローマ・オリンピックで一世を風靡したアベベは裸足で走って世界に衝撃を与えたものである。



そして、いまや2時間4分のカベが皇帝・ゲブラシラシエによって打ち破られるや、後続のマカウ、キプサングと次々と新たなチャレンジャーたちは記録を伸ばしてきた。

「誰かが記録を大幅に更新すると、ランナーたちの『心理のカベ』がリセットされる。そのカベがなくなることで、多くの挑戦者が現れ、そして、そのうちの一人が『歴史』をつくるのです」と、マイケル・ジョイナー博士は語る。



話変わるが、競泳の世界において「高速水着」は前回の北京オリンピックにおいて、数々の世界記録の樹立を導いた。ところが、その魔法の水着の着用は今回のロンドン・オリンピックでは禁止された。そのため、識者たちは今回の世界記録更新には期待していなかった。ある人は「今後数十年、記録更新はないだろう」と悲観的であった。

ところが蓋を開けてみれば、高速水着なしでも、北京を上回る記録がドンドン出てくるではないか。結局、高速水着により「心理のカベ」が破られたことにより、後続の選手による記録更新が容易になったのである。



◎道は続く…


2時間4分という「心理のカベ」が崩れたマラソン界において、次なる大目標は2時間を切る大記録である。

「自分にとっては実現可能だ。私たちの世代で2時間を切ることはできると思っている」

そう力強く語るのは、オリンピック選考に敗れた世界記録保持者のマカウ。「チャンスはオリンピックだけではない」と彼は前向きである。



ロンドンに旅だったキプサング。そして、ケニアの地に残されたマカウ。

残されたマカウはすでにトレーニングを再開している。自らが打ち立てた世界記録を破るために。

マカウの走る道は険しい。一歩間違えば転倒してしまいそうな悪路ばかりがケニアの高地には横たわる。それでも、彼は上下動の少ない滑らかな動きで駆け抜けてゆく。静かに静かに足を地につけながら…。



一方、ロンドンの大舞台に立つキプサングは間もなくスタート。

彼の眼中にあるのは、ただマカウの世界記録を破ること。最高の舞台で最高の記録を目指して、彼は走る。

東アフリカの大地をもっと大きな希望で輝かせるために…。

そして、「歴史」となるために…。






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出典・参考:
NHKスペシャル ミラクル・ボディー「マラソン最強軍団」

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