2012年10月11日木曜日

「露骨」なアメリカに認められた青木宣親(野球)。



「言い方は悪いかもしれないけれど、ある意味で露骨。アメリカは。」

そう語るのは、アメリカの大リーグ(ブルワーズ)で活躍する「青木宣親(あおき・のりちか)」選手。当初は入団テストを強いられたほどに「低評価」だったが、次第にその実力が監督のメガネに適い、はやくもレギュラーとして定着している。



「あれは嬉しかったなぁ」と彼が顔をほころばせるのは、6月7日のカブス戦で放った2本のホームラン。一本目は4回に先制の一発、二本目は10回裏の劇的なサヨナラ本塁打。これが青木にとっての、明らかな「転機」となった。

「あの試合の後から、自分に対するチームの扱いが変わりました。結果を残せば、受け入れられる世界なんですよ。アメリカは。」

そう言う青木は、もうすっかりブルワーズの中心選手だ。青木の争うレギュラー外野手が4人と、異常に多かったにも関わらず。



半年以上アメリカでプレーしてきて、青木もメジャーの投手層の厚さには舌を巻かざるを得ない。無名投手がいきなり100マイル(160km)を投げてくる。

「メジャーはどれだけ人材が豊富なんだよ…」



さらに、打った打者に対する守備位置の「シフト変更」も早い。

日本であれば、1シーズンはある一定のシフトが敷かれるのに対して、アメリカは試合ごとにでも変えてくる。それだけ「直近のデータ」が重視されているのである。

青木も負けずに、打席に入ってシフトを確認すると、外野手の間を抜けるように打ってみせる。そんな今季の青木からは二塁打がよく飛び出す(全安打中25%)。



いまや、すっかりアメリカを受け入れてしまったかのような青木であるが、最初の数カ月はさすがに苦しんでいた。最初の月で青木が先発出場できたのは、たったの3試合しかなかった。

「主人の元気がないように見えたんです…」

そう振り返るのは、日本からスカイプで会話をしていた妻の佐知さん。心配になった彼女は即座に荷物をまとめると、子供たちを連れてアメリカに飛んできた。

青木の成績が上向き始めたのも、家族がアメリカへやってきてからだった。家に帰れば食事が待っていて、子どもたちの寝顔を見ることもできたのだから…。



「ノリ、明日は家族とゆっくり休むんだぞ」と監督も気遣いをみせる。

「サンキュー」とニッコリ笑う青木。

まさかの低評価を実力で覆してみせたバットマンは、成功への糸口を確かに見つけたようである。





ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 10/11号
「青木宣親 苦境で高めた攻撃性能」

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