2012年10月3日水曜日

大器晩成、無骨なバットマン。角中勝也(野球)



「現代版・星一徹」がいた…。

「最果ての地」と呼ばれる奥能登・七尾(石川県)に…。





「生まれる前から、子どもをプロ野球選手にしたいと思うとった。だから、仕込む前から『男つくらにゃ』って思っとったもんね」

そう挑みかかるように語るのは、ロッテ・角中勝也選手の父親、角中稔氏だ。彼こそが現代版・星一徹である。



◎ここまでする親、どこにおるね


その息子のロードワークは3歳から始まった。毎日1kmである。小学生に上がると、バッティングが始まる。毎日100球前後。

「僕がいない時は、『自分でスイングしとけ』って言った。夜、家に帰ってきた時、家内に『しとらんだわ』って聞いたら、布団まくったよ」



息子に「一億円プレーヤー」となる夢を託した父親・稔氏は、惜しげもなくカネもかけた。

「仕事場にあった織物の機械14台もスクラップにしたわ。50万円もしたバッティング・マシーンを置くために」

自宅で織物を織る仕事をしていたという稔氏は、その仕事場に照明とバッティング・マシーンを設置して、完全に「室内練習場」に改造してしまったのだ。

「ここまでする親、どこにおるね」



その労力を隠しもせずに息子に語り聞かせる稔氏。

「これが1cmで100万円や。これが10cmだったら1,000万。イチローは3億や。天井まで届くで」。息子に一万円を持たせて、そう語る。

稔氏の理想像は、常にイチローだった。



◎怒声


練習中の父親の顔は「おとろしー(恐ろしい)」。

「打ち損じようもんなら、怒鳴りつけとった」

それでも、息子の勝也は不思議と泣かなかった。父親がどんな形相で怒ろうとも泣かなかった。それが特別なことと分かるのは、3歳下の弟も野球をやるようになってから。こっちのチビは「睨まれただけで泣いた」。



年齢を重ねるごとに父親の怒声は、ますます「気にならなくなってくる」。

その成果かどうか、現在の角中勝也選手は、「誰かに怒られても、まったく動じない」という。



◎甲子園


さあ、高校時代。いよいよ甲子園。それを目指すのならば、名門の星陵か金沢高校であった。しかし、角中勝也はあえて、地元の高校(日本航空第二)を選んだ。

それは、「能登の人間が、能登から甲子園にいくから価値があるんだ」という同校の監督の言葉に参ってしまったからだ。

「能登の人間にとって、これはしびれるぞね」



ところが、肝心の角中勝也は鳴かず飛ばず。

「スーパー無名ですよ。チーム内ですら、透明人間みたいに目立たなかった」。そう語るのは、高校時代の監督。その高校は、甲子園どころか、県内の準決勝にすら駒を進められない。そんなチームの中でさえ、角中勝也は目立つことはトンとなかった…。



◎独立リーグ


こうしてエリートコースから逸れてしまった角中勝也。

最後の夏の敗戦も響き、高校卒業後は四国の独立リーグ以外の道は残されていなかった。

「独立リーグに所属するということは、つまりは、社会人チームからも、大学からも声がかからなかったということ。独立リーグとは、言ってみれば、プロでは通用しそうもない選手たちがプロ入りだけを目指すという矛盾をはらんだ組織である」



その独立リーグにあっても、角中勝也は依然として「地味、目立たない、守備が下手」。それがチームメイトたちの印象であった。

そんな中、監督の藤城和明氏ばかりは、角中のバッティングに光るものを見る。「スイングだけは速かったよ。こいつは絶対プロに行けるって思った」。

当時のチームメイトたちも角中の振りだけは認めている。「あの打ち方だけは、誰にも真似できなかったな」。



◎ここ一番


長らく鳴かず飛ばずだった角中勝也は、この四国の独立リーグでいよいよ頭角を現し出す。

イチローを理想としていた父親の稔氏は、ひたすらバッティングだけに練習を集中させてきた。その成果がここに来て、角中の身を助け始めたのである。



「『振らされている』から初めて、『振る』になりました」と角中勝也。「野球は嫌いでしたから。やらされているだけで」。

父親のいかなる怒声にも動じない角中は、ここ一番に滅法強かった。リーグ優勝決定戦で、角中は「滅多にないホームラン」を放ち、さらには「練習でも見せたことのない好守備」も披露。

「あの瞬間に、プロ入りが決まりましたね」と藤城監督。



高校までに「スーパー無名」だった男が、ついに独立リーグ経由でプロまで登りつめたのだ。

これは日本球界においても前例のないことであった。



◎大器晩成


プロ入りした角中勝也は、「感情表現に乏しい」と皆に言われている。

サヨナラ弾を放ってチームメイトにもみくちゃにされても、その表情は喜んでいるどころか、困っているように見える。

打ってもガッツポーズもしなければ、勝っても涙も見せない。生涯でガッツポーズをしたのは2度、涙を見せたのはたった一度だけだという。



それでも彼の野心ばかりは、星一徹たる父親のそれを受け継いでいるかのようである。

「10年後のオレを見とけ」

中学の卒業アルバムには、力強くそう記されている。



10年後とは、まさに今年(2012)。

「去年ぐらいから、野球が楽しくなってきました」と朴訥に語る角中。

「大器晩成」を地でいくような無骨なバットマンは、いよいよ開花期を迎えようとしているかのようである。




「能登の人間なら、しびれるぞね」と言っていたあの男気は、遅ればせながらもファンたちをしびれさせている。

もしかしたら、いつか1万円札が天井に届く日も来るのかもしれない…。





出典:Number (ナンバー) ロンドン五輪特別編集 2012年 8/24号

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