2012年11月25日日曜日

指を骨折していたセッター「竹下佳江(バレーボール)」



バレーボールのトスは「指先が命」。

しかし、ロンドン・オリンピックのその時、日本代表の司令塔「竹下佳江(たけした・よしえ)」の左人差し指は「骨折」していた。

セッターとしては致命傷。それでもなお、彼女はコートに立ち続け、骨折した指でトスを上げ続けた。そして、ついには「28年ぶりの銅メダル」という快挙を成し遂げることになるのだった…!



竹下が指を骨折したのは、オリンピック直前のスイス合宿の時。レシーブ練習で飛んできたボールが「予想外のバウンド」をして左手の人差し指を直撃。ビリっとした痛みが全身に走った。

「あ、やっちゃったな…」

竹下はそう直感した。コーチに心配されるのが嫌で、何事もなかったかのようにコートを去る竹下。しかし、それは異様な光景だった。今まで竹下が自分から練習を抜けたことなどなかったからだ。



練習が終わって、異変を察した眞鍋監督は「病院に行けよ」と声をかけてきた。

「でも、私は絶対行かないと言い張ったんです」

行く、行かないでしばらく押し問答が続くも、結局は竹下が折れて病院へ行くことになる。「指がどうなっていようと、私はやりますからね!」と捨て台詞を吐きながら…。



「人差し指、第一関節の骨折だね」

スイスのドクターは、竹下にそう告げた。それでも不幸中の幸いだったのは、「骨は折れているけど、ズレてはいない」ということだった。ただ、ちょっとした衝撃でもズレる可能性があり、そうなってしまったら手術するしかなくなってしまう。オリンピック出場は絶望的だ

コートでトスを上げる以上、必ず指先に衝撃は加わる。その衝撃に人差し指が耐えられるように、竹下は人差し指に添え木を当て、その上を石膏で固めてもらった。以後、毎日この石膏固めの仕事をするのがトレーナーの役目となった。



「指を一本失っても、残りの指でなんとかしてやる!」

その竹下の執念に、眞鍋監督ですら舌を巻いた。

「彼女の五輪にかける『凄まじい執念』を見ました。僕もセッターだから分かるけど、あんなケガではコートに立てない。僕はそんな彼女に五輪を託す決断をしました」と監督。



司令塔・竹下佳江の骨折は、監督とコーチ陣だけの「秘密」となった。

世界最強のセッターとも呼ばれる竹下。日本代表でも不動のセッターである。しかし、正確なトスさばきは「中指・人差し指・親指」の3本がそろってこそのもの。その一本が機能していなかった…。

当然のように「ブレるトス」。オーバートスも使いづらく、アンダーを多用することになる。そんな竹下を、「34歳という年齢のせいか…」という関係者もいた。



それでも、日本のアタッカー陣は竹下の「乱れたトス」を必死に打っていった。

「そんな彼女たちの必死の形相に、今度はこっちが勇気づけられました」と竹下。

ほかの選手には骨折の事実を伝えてはいなかったものの、同じ釜の飯を食う彼女らには、当然のようにお互いに感じるものがあった。

「テン(竹下)さんは口にしないけど、みんな薄々気づいていました」



試合が終わって石膏を外す時、決まって指は腫れ上がっており、なかなか外せない。

「トレーナーに涙目でギャアギャア言ってました(笑)」

もともと背の低い竹下(159cm)には、「小さい」というレッテルを貼られながらも、「ナニクソ精神」で必死に上に登ってきた。だから、絶対に自分の弱みは人に見せたくない。ましてや、同じ仲間たちに…。



骨折したままプレーを続けていた竹下は、ある時、不思議な感覚に出会った。

指一本が使えない分、「正確に、正確に」と神経を集中させ続けた結果、いつの間にか指2本でも、3本の時と同じようなトスが上げられるようになっていたのだ。

「新しい能力に出会えたというんですかね、自分でもびっくりです」



「眞鍋監督は骨折が分かっていても、使い続けてくれました。だから、この人の信頼に応えたかったんです。万が一、試合中に指がスッ飛んでしまっても、すぐにつけてもらってコートに立つと決めていました。そして、真っ赤な顔をして私の乱れたトスを打ち切ろうとしてくれた仲間の思いが、痛みを忘れさせてくれたんです(竹下佳江)」

バレーボール日本代表は、そういうチームだった。

あの銅メダルの陰には、こんな秘話が隠されていた。



オリンピックが終わっても、竹下は頑なに骨折の事実を公表することを拒み続けた。

美談に取られたり、チームの快挙を自分ひとりに集中させたくなかったからである。だから、これまで隠されてきた。



ある選手はこう言った。

「骨折してもコートに立ち続ける姿に、五輪で闘うことの意義を教えてもらいました。竹下魂はみんなに乗り移っていたと思います」

頑なに骨折を認めない竹下の性格をみんな知っていた。だから、竹下は骨折していないことになっていた。

こういうのを以心伝心と言うのであろう。



五輪を終えた竹下は、現在JTを退団して休養中だという。

それでも、その魂はきっと今もコート上でトスを上げ続けているはずである…!

受け継がれた魂は、きっと次の五輪でも!







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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/8号
「メダルのためなら指一本くれてやる 竹下佳江」

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