2012年12月22日土曜日

世界一タフな選手「湯浅直樹」。苦節15年の先にあったメダル(スキー)。


「死んでも攻める!」

その信条を体現したかのような「湯浅直樹(ゆあさ・なおき)」。

スキーW杯、第3戦(イタリア・マドンナディカンピリオ)で「自身初の表彰台」に立った(回転3位)。



「ラストの6旗門から何も覚えていない」

のちにそう語る湯浅は、コースアウト寸前の猛スピードのまま、前のめりにゴール。そのまま転倒して「動けなくなった」。

持病のヘルニアが極度に悪化したのだ。



それでも、滑っている間は痛みは感じていなかったという。

「集中力が極限状態なので」と湯浅。

ゴール後は、倒れこんだまま「タイムも順位も分からない」。



アルペンスキーのレースは2本滑った合計タイムで競われるのだが、一本目の湯浅のタイムは26位(首位と2.06秒差)と大きく出遅れていた。

幸いにも2本目は、一本目のタイムが30位の選手からの逆スタートとなる。そのため、一本目26位の湯浅は2本目の5番スタートという好条件でスタート(出走が遅れるほどバーンが荒れてタイムが伸びなくなる)。



そして、「死んでも攻める!」と突っ込んだ2本目のタイムは、なんと全体で2番目に速いタイム(50秒65)。

ゴール後は「タイムも順位も分からなかった」湯浅であるが、その好タイムにより、順位は一気に3位まで急浮上。それが自信初の表彰台(3位)につながったのだった。



じつは一本目の直後、湯浅は「スタッフ2人に抱えられないと動けない状態」だったという。それでも約2時間半後に行われた2本目で、湯浅は驚愕のハイパフォーマンスを見せたのであった。

2本目の直前、湯浅は「次の一本で倒れて死んでも悔いはない…!」と思い極めていたという。



スキー板を杖にして表彰台に上がった湯浅。表彰台でも「吐き気と鼻水が止まらなかった」。

日本人の男子選手としては史上4人目となるスキーW杯の表彰台。岡部哲也、木村公宣、佐々木明に次ぐ快挙である。



「こんなタフな選手は世界中にいない!」

ライトナー・チーフコーチがそう言うほど、湯浅直樹はタフな選手だ。その決死のゴールシーンもさることながら、湯浅は15年以上も第一線で活躍を続けているのだ。

第一線に常にいたものの、惜しいところで湯浅はいつも表彰台に上れなかった。トリノ五輪(2006)は7位、去年の世界選手権では6位、W杯の最高位は2度の5位(昨季)…。



そして、迎えた今回のW杯第3戦。初の海外参戦から苦節15年を経て、湯浅は表彰台にたどり着いたのだった。それはW杯83度目のレースであった。

コツコツと着実に力を蓄えてきた29歳のスキー・レーサー、湯浅直樹。その重いメダルを手に、こう語る。

「奇跡ではなく『積み重ね』の一つ」

一本目26位からの表彰台というのはスキーレースにおいては奇跡に近い。しかし、湯浅はそれをこれまでの「積み重ね」の一つだと言うのである。彼ほど積み重ねてきたものの多いスキー・レーサーもそうそういないだろう。



「15年以上も海外遠征を続けてきて、胸を張って日本に帰れたのは初めてです」

成田に降り立った湯浅は、笑顔でそう話す。



今回の快挙によって、湯浅は「ソチ五輪のメダル候補」に急浮上。

「幸か不幸か、(アルペンスキー競技の)日本人優勝者は一人もいません。自分でなければやる人はいないと自分に言い聞かせて、歴史を変えたい」

湯浅は力を込めてそう語った。



今季開幕直前に再発してしまった持病のヘルニア。その治療もままならぬまま、12月28日には再びヨーロッパへ乗り込む湯浅。

願わくば、彼の腰がもってくれんことを…。



日本のアルペンスキー界が、久しぶりに見い出した光のタネ。

ただただ、彼のタフさを信じたい…。





ソース:Number
「湯浅が銅 83度目の挑戦で/W杯スキー」

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