2013年5月6日月曜日

「オンニ(姉)がいたからこそ」。全美貞(ジョン・ミジョン)[ゴルフ]



「来日直後は、言葉が分からず電車にも乗れず、食事はスーパーの冷えたお弁当…」

日本にやって来た韓国人プロゴルファー「全美貞(ジョン・ミジョン)」。今年で来日9年目。毎年着実に勝利を重ねながら、「昨季は4勝を挙げて初の賞金女王に輝いた」。



「はじめて日本に来た時、東京のビルの隙間から、ディズニーランドの花火が毎日見えて、とても不思議でした。姉と2人で『いつか行きたいね』と言って眺めていたのが、つい昨日のようです」

賞金女王の授賞式、ミジョンのスピーチは驚くばかりに流暢な日本語であった。

Number誌の記者も舌を巻く。「これまで数多くの韓国人アスリートを取材してきたが、日本語の上手さは彼女が断トツだ」。



「独学です。『天空の城ラピュタ』や『ハウルの動く城』など、宮崎駿監督のアニメを流しっぱなしにしたりして(笑)」

そう言って、全美貞(ジョン・ミジョン)は朗らかに笑う。







もともとインライン・スケートの選手だったという全美貞(ジョン・ミジョン)。ゴルフを始めたのは中学3年生(15歳)からだという。

「それからわずか4年で韓国のプロテストに合格。2001年に賞金ランク10位、その翌年には初優勝。韓国国内では飛ぶ鳥を落とす勢いだった(Number誌)」

ところが、当時の韓国のツアーは年間12〜13試合と、どこか張り合いがない。そこで目指したのが隣国・日本。



「日本LPGA(女子プロゴルフ協会)のQTを受けたら、運良く合格してしまって…。身近な隣国で海外経験してからアメリカに行くのも悪くないと思い、日本に来たんです」とミジョン。

「QT(クォリファイング・トーナメント)」とは、日本の女子プロゴルフツアーに参戦するために必要となる出場ライセンスを獲得するためのトーナメントである。



日本のコースはどこも手入れが行き届いていた。

「思い描いていた理想のゴルフ環境」

ギャラリーたちも多く、そしてマナーも良い。



だが、勝手の分からない「日本の生活」には少々苦労した。

「(一緒に来た)姉も私も、2人とも日本語が分からず、日本には頼れる友人もいませんでしたから…」

頼りは、韓国で買ってきた日本のガイドブックと電子辞書。



飛行機や鉄道の切符の買い方も分からない。

「面倒だったので、レンタカーを借りて移動していたのですが、日本があんなに広く長い国だとは思いませんでしたよ(汗)」

カーナビに指示を一任して転戦した姉妹。四国から関東、福島から兵庫、九州から中国…。日本人には考えられないほどの長距離を、レンタカーで走りまくっていた。



それもこれも「土地勘のなさ」が災いしたわけだ。時に、唯一の頼りであるカーナビが、人影のない山の麓に姉妹を置き去りにしたこともあったという。

「予約した宿泊先に電話しても、現在地を説明できず、移転先も聞き取れない。暗闇の中で立ち往生するしかありませんでした」



日本語が読めず、喋れない。

言葉ができないゆえに、ゴルフ場でも右往左往。来日1年目は、5回も予選落ち。

「言葉のストレスと不甲斐ないスコア。姉と二人っきりになれるレンタカーの中で、いつも泣いていました…」とミジョン。



ただ、姉は決して妹ミジョンの前で涙を見せなかったという。

4歳年上の姉・美愛(ミエ)。妹のために会社勤めを辞め、ゴルフ未経験ながらもキャディとして妹のために尽力していた。

レンタカーのハンドルを握る姉ミエ、たとえ心の中では泣いても、妹の前では気丈な姉だった。



「ふたりして泣いても、気が滅入るだけですからね」と姉ミエ。

むしろ、泣く妹を叱咤する。「勝てないのは、アンタが下手だから。勝ちたかったら練習しなさい!」

予選落ちした翌日でさえ、無理やり妹ミジョンを練習場に引きずって行ったという。



その姉にとっても忘れられないのが、ビルの隙間から見えた「ディズニーランドの花火」。

遠くに見える小さな花火は、自分たち姉妹の希望の灯でもあった…。



来日2年目、全美貞(ジョン・ミジョン)は悲願の日本ツアー初優勝を果たす(2006 Meijiチョコレートカップ)。

「滅多に泣かないオンニ(姉)が初めて大泣きしたんです」と、ミジョンは振り返る。

ミジョンは、キャディバッグを担いだままの姉としっかと抱き合い、泣きに泣いた。



のちに姉ミエは、妹のコーチ金鐘哲と恋に落ち、2008年に結婚。それを機に、韓国へ帰っていった。

妹ミジョンは、そのまま日本ツアーでプレーを続け、冒頭で述べた通り、着実に勝利数を積み上げ、昨季は「賞金女王」にまで輝く。もう、日本語だってお手のものだ。



当初の目標だったアメリカも、今ではさほど魅力を感じなくなっている。

「日本のレベルはアメリカにまったく劣らないし、ギャラリーの多さや大会運営に関しては、むしろ日本のほうが上だと思いますから。それに私、青い目や金髪の人たちが苦手なんでよ(笑)」とミジョンは笑う。

なにより日本人は心優しい。彼らにとっては外国人であるはずの全美貞(ジョン・ミジョン)が賞金女王になっても、一緒に喜び、祝福してくれる。



「私、アリガトウという日本語が大好きなんです」

この言葉は、言う方も、言われる方も、その両方を幸せにしてくれる。

「日本は私に幸福感を与えてくれる国なんです。そして、私をプロゴルファーとして成長させてくれた国。この国で、いつまでも長くプレーしたいんです」

そう言って、ミジョンは控えめに微笑んだ…。








(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/9号 [雑誌]
「姉がいるからこそ 全美貞」

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