2013年8月12日月曜日

5打席連続敬遠の夏 [松井秀喜]



今から21年前の「夏の甲子園」

1992年8月16日

その「事件」は起った。

Number誌「それが当時、星稜高校で4番を打っていた松井秀喜の伝説となる『5打席連続敬遠(vs明徳義塾)』だった」



「全打席敬遠」

それが明徳義塾の馬淵史朗監督が考えた、勝つための「究極の作戦」。

「松井と勝負をしない」

無理もない。先立つこと春のセンバツ大会で、星稜の松井秀喜は2打席連続を含む3本のホームランをマーク。この夏の大会でも「大会屈指のスラッガー」として全国的な注目を集めていたのであった。



Number誌「1回、松井が打席に入るとキャッチャーは立ち上がりこそしなかったが、外角の大きく外れるところにミットを構え、マウンドのピッチャーはそこに4つのボール球を投げ込んだ。3回と5回も同じように外角に4つのボールを投じ、バッテリーは松井と勝負する気配を一瞬たりとも見せることはなかった」

「そして明徳義塾1点リードの7回2死無走者の場面で、明徳のピッチャーが外角にボール球を投げ始めると、スタンドは騒然としたムードに包まれた。松井にとってこれほど極端な例は、その後の野球人生を含めてもちろんない」



当時のことを、松井はこう語る。

「『なぜ?』とは思わなかった。ただ、あそこまで極端なことは経験したことがなかったので、『ここまでやるんだ』という驚き…、その驚きの感情が強かったですね」

「敬遠されてイヤな気持ちになるバッターってほとんどいないと思うんですよね。もちろん打ちたいですけど『まあ、仕方ないか…』と。僕はジャイアンツでも何回も敬遠されましたけど、別にイヤな気持ちになったことはなかったですね」

「僕が敬遠されるのは仕方ないけど、うちのピッチャーが敬遠するのはイヤでしたね。僕は後ろから『敬遠する必要ないのに。打たれたら打たれたで仕方ない』って思いながら見てました」



淡々としていた松井とは裏腹に、多くの高校野球ファンは明徳義塾の卑劣なまでの作戦に憤った。

「高校野球にあるまじき行為だ!」

Number誌「9回2死三塁で明徳義塾バッテリーが、この日5度目となる敬遠をすると、球場は堰を切ったように騒然となった。怒号と野次が甲子園球場に飛び交い、メガホンやゴミがグラウンドに投げ込まれた。それを球場職員とボールボーイ、星稜の控え選手が拾い集める」

そんな光景を、一塁に立っていた松井は感情を押し殺したような表情でじっと見つめていた。



水島新司の野球漫画「ドカベン」には、主人公ドカベンこと山田太郎が「5打席連続敬遠」される場面がある。

Number誌「まさに漫画の世界の出来事が現実に起ったわけだ。しかし漫画と現実が違うのは、山田のいた明訓は主砲が歩かされても負けることはなかったが、現実の星稜は敗れ去ったということだ」

松井は言う。「『ドカベン』は読んでいました。山田太郎が同じように5打席連続敬遠されて、明訓は勝ちましたからね。勝てば別になんてことなかったんです。だから敬遠されても、”打ちたい”っていう気持ちより”勝ちたい”っていう気持ちなんです」








悲願の日本一。

松井はこの大会、主将として望んだ「最後の夏」だった。

一点差を追う最終回、敬遠されて塁に立った松井は決死の盗塁を決め、星稜はランナー二、三塁とし、一打逆転のチャンスに望みをつないだ。



しかし儚くも、最後の打者が三ゴロに倒れ、松井の三年間は悲願ならずに終わった…。

「まさか、こんな最後になるのかよ…!」

チーム全体に不完全燃焼の部分があった、と松井は振り返る。



「ついにバットを振らぬまま対戦相手の校歌を聞いた(Number誌)」

いや、明徳義塾の勝利を称えるはずの校歌は、スタンドから鳴り響く「帰れ!」の怒号にかき消されていた。その凄まじいブーイングは、明徳の選手が球場から去るまで鳴り止まなかった。

松井も確かに怒っていたのかもしれない。試合終了後に整列して礼をした後、松井は明徳ナインと握手もせずにクルリと踵を返し、背を向けてベンチに戻った。



その言葉にならぬ悔しさとは裏腹に、徹底的に敬して遠ざけられた松井は、この試合で「怪物」の評価を確定させることになる。

Number誌「この5打席連続敬遠という伝説が、その後の野球選手・松井秀喜のプライドとなり、パワーとなった。それだけは紛れもない事実だと松井は思っている」

松井いわく、「あの敬遠がその後の20年間のプロ野球生活の中で、どれだけ僕にエネルギーを与えてくれたかっていうことを考えると、途轍もないんです。あそこで『5回敬遠されたバッター』ということを、自分はどこかで証明しなくちゃいけないと思っていた。日本中の野球ファンの人に『松井だったら敬遠されても仕方ない』って思われる選手にならなくちゃいけないってね」



あの試合後、松井は明徳の選手たちと握手もせずに去ったことを「いま思うと大人気なかったですね」と話す。

そして、松井秀喜の野球人生にとって「またとない最高のプロローグ」となったあの夏の日の5打席連続敬遠を、現役を退いた松井はいま、「僕個人としては非常に感謝してるんです」と語る。



たとえ勝利できなくとも、

たとえ、その時は不本意な敗北に終わろうとも、

松井の野球人生は、まだ雄叫びを上げようとしていたばかりだったのである…!













(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 8/22号 [雑誌]
「あの夏があったから 松井秀喜」

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