2014年5月20日火曜日

ありのままの自分 [イブラヒモビッチ]




ヌッと巨体があらわれた。

身長は2mに届かんばかり。体重は100kg。

——その肩にやどる独特の威圧感が、肉体的な大きさを助長している。これまでにピッチで対峙したディフェンダーたちは、あらゆる意味でその巨大さを実感してきたに違いない(Number誌)。






ズラタン・イブラヒモビッチ、スウェーデン生まれの32歳。

——Jリーガーら100人が選ぶ”現代最高のストライカー。メッシやC.ロナウド、スアレスら各国最高の点取り屋を抑え、日本の選手たちはイブラヒモビッチを”最高のフォワード”と定義づけた(Number誌)。

彼は「よろしく」といって、革ソファにその巨軀をしずめた。



普段はインタビューに応じない男、イブラヒモビッチ。

その男が、「地球の反対側のジャパニーズ」へ話をするという。

——PSG(パリ・サンジェルマン)の広報部は、少し驚いたようなトーンでこう伝えてきた。「イブラが話をしてくれるそうだ! すぐにパリに来てくれ!」




インタビュー前、Number誌の取材記者は”ある先入観”をもって彼に対していた。

悪童、バッドボーイ、問題児…。

——恐らく世界中の人が、似たような印象をもっているのではないか(Number誌)。



ところが対話がはじまるや、そのイメージは大きな方向転換をせまられる。

——向かい合って受けた印象はまったく異なるものだった。イタリアとスペインの記者にさんざんネガティブな話をきかされていたので拍子抜けしたくらいだ。彼の言葉は刺激的で、ときに誤解を生みそうなほど正直だった(Number誌)。

イブラヒモビッチは自らのイメージについて、こう語る。

「イメージというものは作られるものなんだ。いくつかのメディアは、”イブラヒモビッチという人物像”をつかってそれを創りだす。彼はどうしようもないエゴイストで厄介者だ、と。いまじゃ世界中でイブラヒモビッチは悪人だ。しかし、実際に会った人や、ともにプレーした選手たち、働いたクラブの人々はまったく別のことを言う。それはなぜだろう?」



彼はつづける。「自分は母国(スウェーデン)を出てプレーした全てのクラブで、1年目からタイトルを勝ち獲ることができた。もし自分が、”報じられているような和を乱す人間”だとしたら、これほど勝つことなんてできなかったはずだ」

2006年、インテル(イタリア)に移籍したイブラヒモビッチはセリエA3連覇を達成(2008-2009シーズン得点王)。2009年、バルセロナ(スペイン)に加入してリーガ優勝。ACミラン(イタリア)をへて現在のPSG(パリ・サンジェルマン)に至り、昨季はリーグ優勝、得点王に輝く。

イブラヒモビッチはこうも付け加える。「ただ、自分からクリーンな優等生のイメージをつくろうとは思わない。嫌いなんだ。”つくられた偽のイメージ”が。本当に大事なことは、生身の人間が言ってくれる言葉なんだ。だから、どうとらえられようと”ありのままの自分”でいる」



日本人選手から高い評価をうけるのは、イブラヒモビッチが”エゴイスト”であるという魅力もある。

——日本のフォワードはどうしてもエゴイストになれない。日本人の国民性や社会が、それを許さない。だからこそ、エゴイストといわれ”ありのままの自分”を貫くイブラヒモビッチに惹かれる部分がある(Number誌)。

イブラヒモビッチは言う。「もちろん、ストライカーにはエゴも必要だ。点を決めるために一番必要なのは技術じゃない、なによりも自信をもつことなんだ」



かつて、若き日のイブラヒモビッチは”観客を魅了するスペクタクルなプレー”に酔いしれていた。

彼は言う。「エラシコのような足技を連続でやったり、からかうように相手の股抜きをしたり。第一選択肢は”魅せること”だったんだ。あの頃はそれが自分のなかで一番大事なことだった。ユーベに移籍した頃はまだ22歳。自分のことを考え、好きなプレーばかりを追求していたね」

誰よりも巨大な体躯で、誰よりも繊細な足技。「子どもの頃に描いた夢は、穴のない何でもできる完璧なストライカーになることだった」とイブラヒモビッチ。



そんな正真のエゴイストであった彼も、カペッロ監督(当時ユベントス)の言葉に目が覚めた。

「オマエは巧い。ワンツーもドリブルも、フェイントだって腐るほどもっている。だがな、ここイタリアで一番大事なのは得点なんだ」

イブラヒモビッチは気づいた。「イタリアでストライカーに求められるものが分かってきたんだ。あの国ではどれだけ良いプレーをしても、結果、つまりゴールを決めなければ評価されない。カペッロという監督に出会ったのは大きかった。それから毎日、練習後にカペッロからゴール前に呼ばれた。シュート練習の日々だ。そして少しずつ自分のなかで何かが変わっていった」

——プレースタイルが変わっていったのは、イタリアで数年が経ってから。若い頃にみせていたフェイントや遊びのプレーが減って、得点が大きく増えていった。”新たなイブラヒモビッチ”はその後、行く先々で得点を量産。やがて、その名声と人気は世界の隅々まで広がった。もちろん日本でも彼はカリスマ的な人気を誇っている(Number誌)。






Jリーガー100人の投票で、”ベストフォワード”に選出されたことをイブラヒモビッチに伝えると、彼は選者の書かれたリストをまじまじと眺めた。

The Best of FW(ストライカー)…ズラタン・イブラヒモビッチ

The Best of 2列目(トップ下)…クリスティーノ・ロナウド
同…リオネル・メッシ
同…フランク・リベリー

The Best of MF(ボランチ)…シャビ
同…シャビ・アロンソ

The Best of SB(サイドバック)…ダニエウ・アウベス
同…フィリップ・ラーム

The Best of CB(センターバック)…チアゴ・シウバ
同…セルヒオ・ラモス

The Best of GK(ゴールキーパー)…マヌエル・ノイアー



「現役選手に選ばれた、というのが嬉しいね。彼らは実際にピッチ上でボールを蹴っている同業者だから。地球の反対側でも評価されるのは名誉なことだよ」と、イブラヒモビッチは素直に喜ぶ。

いまや、イブラヒモビッチはエゴイストとは言い切れない。角田誠(ベガルタ仙台)はこう語る。「イブラは独りで何でもできる。だが強引にシュートを打たず、最良の選択肢をえらんでいる」

“Unpredictable(予測できない)”

昔から好きな言葉だ、とイブラヒモビッチは言う。「自分の最大の武器をあげるなら、この読めないプレーができるってことだ。距離に関係なくシュートも狙えるし、ドリブル突破もポストプレーもできる。ただ、基本的にはチーム全体のことを考える」



そして続ける。「日本人にはサムライの時代からつづく、そんな良さがある」

個人的に日本の戦国時代に興味があるというイブラヒモビッチ。

「映画もよく見るんだ。コンフェデ杯もテレビで見たが、日本は勝てなかったが素晴らしいサッカーを見せていた。ワールドカップでは日本の良さを突き詰めたサッカーを見せてほしい」

インタビューの最後を、彼は日本への期待でしめくくった。



——イブラヒモビッチは重く沈んだソファーから立ち上がると、ゆっくりと去っていった。巨体が姿をけすと、この小さな部屋はぽっかりと穴があいたように空虚になった(Number誌)。






(了)









ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 4/24号 [雑誌]





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