2014年6月9日月曜日

ヒーローは遅れて現れる [大久保嘉人]




選ばれない方がおかしかった。

大久保嘉人(おおくぼ・よしと)31歳



「もし彼が選ばれなかったら、国内組はもう何をやっても代表に選ばれないよ」

大久保のキレキレのプレーを見ていたものは、皆そう思っていた。

——昨年川崎フロンターレに移籍して以降、大久保嘉人は圧倒的だった。身体は常にキレ、ボールをキープすれば誰にもとられない。ドリブルでしかけ、放つシュートは速く正確で鋭い。「ボールの芯を喰う」という表現が適切な、強烈なミドルシュート(Number誌)。



「なんで呼んでもらえんのですかね?」

当人もそう感じていた。

「これで呼んでもらえんかったら、もう何もすることないっスよ」

昨季、大久保は26得点の活躍でJ1得点王に輝いていた。

「あの人(代表監督ザッケローニ)、ちゃんと俺のこと見てくれとんのかなぁ…? こっちはもう何も怖いもんはないっスよ。たとえ落ちても、そこは監督の好みなんやなって」






一方、ザッケローニ監督率いるスカウティング・チーム(イタリア人5人、日本人3人)は、年間2,000試合以上にも及ぶ視察に飛び回っていた。誰がどの試合を見にいくかはすべてザッケローニ本人が決めていたという。

ザッケローニ監督は、スカウティングの基本をメンバーにこう語っていた。

「想像力を働かせなさい」

試合で誰が点をとり、誰がアシストしたかは記録をみれば分かる。それよりも「その選手が世界と戦った場合、そのプレーは通用するのか。想像しなさい」とザッケローニは言い続けていた。



「大久保を呼ぶ、呼ばない」がチーム内で議論されるようになったのは、東アジア杯の前からだったという。

ザッケローニ監督はずっと大久保を見ていた。大久保は「世界と戦うことが想像できる選手」の一人だった。だが招集は見送っていた。スタッフが言うには、その時期を計っていたのだという。

「調子が良くて結果を残している選手は、直前であってもメンバーに選ぶ」、監督の側近である霜田正浩はそう予見していた。

幸い、その間、大久保はずっと調子を落さずに結果を出し続けていた。





そしてブラジルW杯も目前に迫った5月12日、W杯メンバー23人を発表する日がやってきた。

代表メンバー発表は、事前に選手らに知らされることはない。選出される選手もTVで見て知るのであった。



異常な注目をあつめていた会見の席上、ザッケローニ監督は落ち着いた口調で代表選手の名前を読み上げはじめた。

「カワシマ、ニシカワ、ゴンダ…」

「コンノ、イノハ、ナガトモ…」

「モリシゲ、ウチダ、ヨシダ…」

「サカイ・ヒロキ、サカイ・ゴウトク…」

「エンドウ、ハセベ、アオヤマ、ヤマグチ…」

「オオクボ…」






「え? いま名前、言ったよね?」

大久保の名前が呼ばれると、川崎フロンターレの選手らはガバッと跳ね起きた。ちょうどチームはバスで羽田空港へむかっている途上だった。



それまでの張りつめていた空気が、一気にほぐれた。

バスのなかは一斉に盛り上がった。

ついに我らがヒーロー、大久保嘉人は選出されたのだ…!



あの人はちゃんと見ていた。

——もはや日本代表に呼ばれない理由を探すほうが難しかった。ひいき目ではなく、確かに柿谷よりも大迫よりも、いまの大久保のほうが全然キレているし、点も取れていた(Number誌)。



「うれしいっスよ」

遅れてきた男、大久保は素直に喜ぶ。

「一番の自信になってるのは、やっぱり得点を取れてること」

「なんか知らんけど身体が動くんスよ。若い時みたいに無理がきくというか。なんかこう、うん、気持ちよくサッカーができてる。俺にボールを預けてくれたら、マジでもう取られないっていう自信はある」









大久保は「ワールドカップ」と聞くと、小学6年生のころを思い出すという。

当時のアメリカW杯を、父親と2人、コタツで見ていた。それは確かブラジルの試合だった。すると突然、父親はロマーリオを指差して「おまえ、こんな選手になれ」と言った。

少年・大久保はちいさく反発した。「サッカーのこととか全然知らんくせに…」



大久保嘉人がA代表に初選出されたのは2003年、当時21歳。

——そうっスか? そうっスね。 わかんないっス。当時の大久保へのインタビューは難しかった。こちらの問いに対する彼の答えは1分も続かない。森から出て来た野生動物にインタビューしている気分だった(Number誌)。

その後、代表に定着した大久保は南アフリカW杯(2010)では全4試合を先発出場。左サイドハーフに配置され、そのポジションで燃え尽きるまで働ききった。



それ以来、大久保は代表から遠ざかりがちになっていた。

「もう一回代表になれ」と、父親は相変わらずうるさかった。

ときに大久保はキレた。

「うっせぇ、お前! サッカー知らんくせに!」



そして、長らく患っていた父は死んだ。

こんな置き手紙を遺して。

『日本代表になれ。空の上から見とうぞ』






それから、ほぼ1年

大久保はふたたび代表に招集された。

先のザンビア戦、瀕死の日本代表を救ったのは、後半ロスタイムに放った大久保の逆転弾であった。代表ではじつに6年ぶりとなる待望のゴールだった。







ブラジルW杯へむけ、大久保は夢想する。

ベスト16、ロスタイム3分

大久保の放つ、あの芯を喰った強烈なミドルシュート。

日本、逆転勝利!

史上初のベスト8!



「ヤバいっスね。それはもう、ヤバすぎですよ」

「でも…、それくらい出来そうな気がする」











(了)






ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 7/17号 [雑誌]
大久保嘉人「遅れてきた男」



関連記事:

本田圭佑の「運任せ」 [サッカー]

進化を呼びこむ「悪い波」 [長谷部誠]

天才は2度輝く。柿谷曜一朗 [サッカー]




0 件のコメント:

コメントを投稿