2015年4月8日水曜日

初めての氷の上で [羽生結弦]



ヘルメットをかぶったその子供は、氷の上をいきなり走り出した。

「ほとんどの子は怖がってしゃがみこんだり、フェンスをつかむのですが、結弦は違いました。いきなり走ったんです。それも、ブッ飛んでいく感じで」



羽生結弦(はにゅう・ゆづる)、当時4歳。

後のオリンピック金メダリストが初めて氷を踏んだのだった。



しかし、走れたのはほんの数歩。

あっという間にバランスを崩した小さな体は、氷の上に転がった。



「大丈夫? 痛くない?」

山田真実はあわてて駆け寄った。当時の彼女は、羽生の4歳上の姉を指導していたコーチだった。

その声を聞いたか聞かなかったのか、4歳の男の子はケロリと立ち上がるや、またもや走り出した。そしてまた転倒。それでも、また立ち上がって走り出す。

そんな結弦を、山田はただ呆然と見つめていた。

「氷の上で転ぶ痛みを味わうと、次はどうしても怖がって、力を加減してしまいます。子供の技術を向上させるうえで最も大きな障害になるのは、この恐怖心なんです。でも、結弦にはまったくそれがなかった」



羽生結弦に初めてスケートを教えることになる山田真実コーチ。

その4歳に秘められていた才能には、ただただ驚かされるばかりだった。






5歳になる頃、結弦はおかっぱ頭をしきりに振っていた。

「そんなに頭を振っていると、頭が痛くなるわよ」

山田コーチは結弦にそう言った。

「まるでX JAPANのYOSHIKIさんがドラムを叩いているときのように振り続けるんです。まだ手足を自由に使って表現する技術がないから、頭を振るしか表現方法がなかったんですね」

感情を表現することに恥ずかしさを感じる子供が多いなか、結弦の感情表現はむしろ過剰だった。

「自己陶酔できるというのでしょうか。最初からすっと自分の世界に入ってしまうので驚きました。怪我をしたときは悲劇の主人公になりきるし、私に怒られたときは『あなたに怒られて、僕は今、ものすごくダメージを受けています』という態度をアピールしてくるんです。彼の表現が真実なのか演技なのか、見極めるのが大変でした」



ジャンプの才能も凄まじかった。

「まだ1回転しか習得していない段階で『アクセルで1回転半やってごらん』と言うと、結弦はそのために必要な軸の使い方を教えていないのに、体を1回転半させるんです。まだ軸がぶれているので転倒はするのですが、体はしっかり回ってるんです。普通の子はそれぞれの回転に必要な体の軸を覚えさせて、それを何度も繰り返してようやく回転できるようになるのですが、結弦はそれをすっ飛ばしていきなり跳んでしまうんです」



この才能の塊に、山田コーチは厳しく接した。結弦がスケートに対して不真面目なときは、容赦なく叱りつけた。

「練習するの? しないの? どっちなの!」

結弦がしぶしぶ「じゃあ、する…」と答えると、大声が飛んでくる。

「するんなら、だらだらしない! しっかりやりなさい!」

あまりの厳しさに結弦は母親に「もうスケートはやめる」と泣きつくこともあったという。



山田コーチは言う。

「誉めれば誉めるほど上手くなるのはわかっていたのですが、それはできませんでした。私が彼のスケート人生に何らかの貢献ができているとすれば、上から抑えつけて彼独特の表現力や感受性を潰そうしなかったことです」






羽生が8歳になる頃、山田コーチは仙台を離れた。

「まだ8歳ですが、すごい選手になるかもしれません。厳しく、でも、絶対に潰さないようによろしくお願いします」

山田コーチが後を託したのは、名将・都築章一郎。

山田は言う。「もし私のもとにずっといたら、どれだけ才能があっても結弦は世界を目指す選手にはならなかったでしょう。その後の指導者も含め、良い環境でスケートが続けられたのは、家族の支えも大きかったでしょうし、逆にそうした周囲を引き込んでいく力もふくめ、やはり結弦はスケートをするために生まれてきた子なんだ、と改めて思いました」






2012年、18歳になった羽生はカナダに渡り、ブライアン・オーサーに師事する。

その夏、山田コーチは久しぶりに羽生結弦の練習を見た。

「集中力やたたずまい、全身から発しているオーラのようなものが凄かったんです。ああ、これはオリンピック・チャンピオンになるな、と。それはバンクーバー五輪の前に同じくブライアンの指導を受けていたキム・ヨナ選手の練習を見たときと同じ感覚でした」



そんな山田コーチの感動を知らず、羽生ははにかんだ。

「ちゃんと練習しないと、山田先生に怒られると思って…」

山田コーチもまた、以前と変わらず叱咤した。

「ちゃんとコーチの言うことを聞いて、調子に乗らないで練習するんだよ!」







そして羽生はオリンピックの金メダリストになった。

日本男子フィギュア界初の快挙であった。



それでも山田コーチは祝福の言葉をかけることはしなかった。逆にその後、ケガや病気に苦しむ羽生にはっぱをかけた。

「早くカナダに帰って練習しなさい! カナダにだって病院はあるでしょ!」

そんな厳しい恩師に、金メダリストとはいえ頭が上がらない。

「先生、ほんとに痛いんですよ…」













(了)






ソース:Number(ナンバー)875号 羽生結弦 不屈の魂。フィギュアスケート2014-15 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
羽生結弦「ユヅルが初めてリンクに立った日」



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